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It is backstage though loving doesn't stop.  
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0c261470.jpg8f29cb3a.jpg朝7時前より県主催の有機農研修に参加してまいりました。本日は2日目慣行田のうね切り及び自然農田のうね切りを班ごとに体験。自然農田では、中性にphを持っていくため、石灰を施肥せず、ミミズや土の団粒構造にまかすとのこと。次回は夏野菜の植え付け、種まきだそうです。(写真左:先生の話、右:うちの有機畑・・たまねぎがいい感じですww)


僕が有機に、こだわる理由・・うちの農協施設に主任オペレーターとして25年働き、他施設の同期の人らは、塵肺で数人入院し退職した人もいます。いわゆる昔でいう3Kの職場です。清掃の際の化学肥料や農薬がついた埃を25年吸い続けました。この地域25年以上働いて、肺をやられてないのは、僕くらいです。僕はたばこを吸いません。それでも唇と喉の痛みが尋常じゃないくらい痛い時があります。ロキソニン・デパスじゃもうどうにもなりません。

でも、大地に種をまき、収穫、乾燥、出荷を体験できるのは、この職場にいれるからこそ・・。

僕は、夏、葉の上で太陽に向かって輝く露が大好きです。

露は、葉の上ゆらゆら落ちないようにしっかりしがみつき光を吸収する。

落ちないように・・しっかり、不安定でもしがみつく。


今年は、有機に打ち込むと仲間と決めた。でも先週、自分の多忙から、最悪減農薬でもと・・。涙でた。


焼肉ドラゴンの、役者の時代の共通認識は凄いと思った。
ぶれない時代に対する役者のひとつの方向を向いてる想い。
個がある前に、時代がある。歴史観を共有する舞台は、その時代を学ぶことからはじまる。
昭和15年、16年ずっと調べてます。

道義という言葉の深い意味も調べなきゃ・・。

おっと、もうこんな時間、これからズンバ!!!そして集落座談会!!
今日も忙しい・・。それにしても時間のやりくりがうまくなったものだ(笑)
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一週間前、北九州芸術劇場に2008年日韓の演劇賞を独り占めした「焼肉ドラゴン」を観劇。GW何か芝居でもと思いつつ検索し「えっ、九州で再演、もうチケットないだろう」と思いつつも一回最後方の席がまだ・・「運がいい」公演一週間前にあの「焼肉ドラゴン」のチケットがまだあいてた!!

最初に言っときますが、僕は基本右側の人間です(笑)自ら一番最初の脚本1992年に、北朝鮮拉致の情報を一番リンクしながら、何にも手をつけなかった当時マドンナ旋風、消費税反対という立場で大躍進した○○たかこを実名で、批判するくらい右側の人間です。っていうか評論上手になりたくない訳で・・(笑)

物語は、強制連行、そして併合時代へ、戦火を逃れるためさまざまな理由を持ち、日本へとのがれた在日と呼ばれる人たちの人情歴史物語。

パンフの中でチョン監督はこういう、「今、日本の演劇は非常な個人主義傾向にある」と、それは日本に限らず世界にその流れもあると・・僕も思う、演劇に個人主義はたぶん実りを咲かせない。そしてこう綴ったあった、「個」を追及するだけでは世界は広がらず、新しい発見はない。歴史認識には、歴史を通して今の世界や自分のありようを探っていけるようなスケールの大きい客観性を持っている。と、・・・。当然演劇は自由だ、「個」も存在し、「集団」もどこまでも続く、でも僕はチョン監督のいう、そういう演劇が今は好きだ。

済州島で数万人の仲間が殺された。そして働いて働いて働いて最後に手にした自分の自分たちの家族の仲間のそして大事な町が、日本人の欲がうづまく開発の為、町まで奪われていく。電気も水道もみんな奪われていく。その時、ごめんなさい客観的でごめんなさい、震災のことが頭に・・。

そしてラスト少年の力強い独白「僕は、本当はここに住んでいる人が好きだ、町も大好きだ」そしてジングルベルの冬なのに、ふる桜は、あの少年の町は好きだというなげかけと共に希望を表していた。

そして、パンフには故井上ひさしを愛した新国立劇場でこそ自分の仕事が出来たと・・日比谷の大劇場では当然NGだとも・・。パンフにも描かれていた故井上ひさし、これは何らかの偶然、でもそれは必然なことだったんだろう。

会場、ラストは声をだして泣く人・・。スタンディングオベーション、心残りは、もっと前で見たかった。でもナイロン100℃の時も昨年観劇したが、ここの舞台は実に綺麗で心地よい空間です。もっと書きたいが、次有機農の話。

今まで、独学で無農薬、無化学肥料栽培米を一部の田で試みてきた。当然国の減反政策の際は、大豆を作ったり、その年は忙しいなと思う時は慣行田となすうちの田、今年は数年ぶりに有機に挑戦。と思いNPO主催の有機教室に、土・日中心に参加することに決定!!昨日は入会式!!33名の生徒、センターの真中席確保。自己紹介は、またくどくど一番長い僕。いろんな人とお話しできてよかった。いろんな立場の人が学習しにきて、たぶん一年面白く学べそうだ。自然農の川口さんのあの一言が自分大好きだ。


朝露ふんで野に出で、輝く太陽の日差しを一身に受け、生命から生命にわたる風に任せての農作業は、心身を大いなる健康へと運んでくれる・・。

たしかにうちの町の90過ぎのある農家は、朝の日差しとともに田畑に毎日・・この年寄りにしかわからない風の心地よい感じ方があるのだろうな・・。


ということで、もうすぐ一カ月の夜勤生活に、田植え、仕事と猛烈に忙しい俺。

今年は昨年に増して充実しきった毎日になりそうです。
朝会社へと歩く。
二月までは、少し顔を見せていた麦が、数度のお百姓さんの麦踏で、下に下に丈夫な根を作りあげた。胚から形成された主根は、出来るだけ下に根を張り、途中に分岐根の一次分岐根、二次分岐根・・。と仲間を増やし、土中に溶けた養分を沢山掴み、空に顔出している茎や葉に伝達する。土台がしっかりしていれば、主役を支えることが出来る。根は、人の体でいうと、足腰。そして養分を吸収し、活用する口や胃や腸なのです。

元旦に、今年は、もう一回コツコツ何かを積み上げる年にしようと思って走った。

22年に悪戯な天候にそそのかされた米の施設仕上げは三月までおよび、その昨年収穫された米を眺めて自然の怖さを痛感した。どんなに人が一生懸命手をかけた作物でも、自然には叶わない。うちの農協施設の最新のもみすり機、そして比重選別機それに色彩選別機が備わっている。仕上げ米を再度比重でスグリ、茶米や青米などを除去しても十数年前まで、そんな機械が備わってなく容易に仕上げられた米に、何十倍の時間を費やし最新の機械を用いた米の質が及ばない。

自然の恐怖と、肥料の一発材推進により、丸くて大きい透き通った本来の米の姿が失われていく。

弥生三月とは、草木がいよいよ生い茂る月、木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)が詰まって弥生と言う。
周りが暖かくなり、虫や麦の芽や桜の花も顔を見せ、お世話になった暖房器具のコンセントをぬく元気な季節なのに・・。

日々おくられてくるマスコミの映像に、心痛む。2011の佐賀の麦の成長が近年になく元気なだけに心痛む。

今年、僕は麦を作りませんでした。

たまねぎを少しだけ作りたかった。
近年まれになく最悪だった22年の米の農協施設オペレーターとして時間がなかった。
もう少し劇団でやれることを仕事が落ち着く、4月から考えてみたかった。
脚本も寝ないでかいていた。

でも最大の理由は、数年ぶり、あの土地に有機米を作りたかった。麦を作っていると、秋や冬そして春に有機米の準備、土作りはできない。

自然とともに根を最大限に生かす、愛情込めた完全無農薬、em菌堆肥を中心に・・。周りの好きな人に、「うまかやん」って「うん、そい健康にもよかよ、自然相手にして久しぶりに作った有機米けん」って、秋の収穫期に、笑って・・。一年、泥にまみれたかった。

そしてこのうさぎ年の一年を、次年度からの目標、夢に繋ぐ年にしたかった。


今、僕に出来ることは、自然とともに今年有機米に再度・・。継続。そしてそれを農家として心より尊敬できる東北の人に・・。

ずっと夜遅くまで残業してたので、今日は代休、有機田に石灰ふり、まずは土台土作り、めざせ

ph6.5・・・。


先週土曜、劇団二期生飲み会後、大好きなサムソンの誕生日に、ちょうど一年前、うまずきさんのオフ会でみんなで見た、ヴィクトの成長に・・。ライヴ映像午前3時涙・・。16年目の日本ホースマンの夢でした・・。
emIMG_1680.jpg母校、東農大OBのある機関を通じまして、東北に米と野菜を贈りました。
でも、それっきりにしたくないので、ミクシーにコミュを立ち上げました。内容は

【実りの秋、被災地に届けたい。】

東北は、日本が誇る有数の米処です。
東南アジアから伝わった熱帯作物のお米を、東北の人は努力で、寒い地域に適したお米を生みだした。それが日本人が愛したコシヒカリ・アタコマチ・ひとめぼれなどです。そしてその血が私の住む九州まで品種改良で届きました。それは我々の農家にとって尊敬に値することだと思っております。

2011/3/11の大地震に心よりお見舞い申し上げると共に、その美味しいお米を生む田畑を一瞬にして失くしてしまったことに対して・・。

農家の佐賀の私が、東北の人に出来ること・・。

2011自分もこの気持ちを傍において暮らし、一年間有機で大事に育てたお米を、
秋に東北の人に食べてもらいたい。

遠くの人は、悲しみを忘れることは容易にできようとも
近くの人は、悲しみを抱えたまま、ずっと生きなければならない。

だから今だけじゃなく一年間そしてその先も、ずっとこの思いを忘れないように数十aを支援米とし一年間、東北の人に食べてもらうことを喜びとして育てていきたいと思います。

尚、近隣の人のお手伝い、輸送等を行なってくれる心暖かい人の協力者を募ります。

そして実りの秋までこのコミュで、お米の報告を致したいと思います。


以上転記、今、2011有機米に向けて対象田に、今日は会社代休を利用してEMぼかし等を秋から春にかけて、三度目散布を致しました。協力者をこの場を借りて募りたいです。
特に、大石さん、中並さん御意見をお聞かせ下さい。

あと、本日もティーンズは、佐賀駅周辺で募金活動です。
http://www.youtube.com/watch?v=_rfz5CLHblY
5e28bfca.jpg1b8fc591.jpg77e8cc00.jpg






  僕は、農家で農協勤務だから自然とともに毎日を営んでいる。
平成3年の最大風速54mで、地元の堤防を海の潮が風とともに乗り越え、作物が壊滅した爪痕の状態がまだ脳裏にこびりついている。

だから、いつも、米を植えた後は、風の心配をする。
風は、時として気持ちいいけど、強すぎる風はけっかいだどずっと思っている。

それは風だけでなく、温度・雨の世話をずっと収穫まで気にかけてなくてはいけない。

・・農は天候や、自然が支配するものだから、恵や罰を傍にいて感じてしまう。


佐賀には、ティーンズミュージカルという劇団が存在します。
僕の所属するSAGAパーフェクトシアターの年は下でも、先輩格の劇団です。
3/13、12時と17時に、地震の募金を歌と踊りを交えて行われました。

いいことを思ってすぐ、行動にできる、こんな素晴らしい子供達です。

歌を聞いてて、涙が出そうでした。お疲れ様です。

ティーンズの子供達に、教えられました。
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